マーブルマーブル

イラストレーターです。日々気になったことをテーマに問わずブログにしています。マーブルチョコのようなカラフルで雑多なブログを想定し、「マーブルマーブル」としました。純喫茶、マッチ、散歩、昭和の建物、昭和歌謡、片付け、スケジュール帳などが好きです。コメント欄がありません。ご感想などはコチラまで→marble●tellacoli.com(●→@)

まさか本人に。


小沢健二のコンサート「東京の街が奏でる」初日に行ってきました。
とっても素敵なコンサート。
「あれだけ思い焦がれていた、この人と同じ場所にいるのだ!!」という皆さんの嬉しさと喜びで、会場全体がきらきらとしたものに包まれている感じ。初日独特の緊張感も、なんだか心地いい。
選曲は懐かしいものばかりで、お客さんも一緒に口ずさみながらの時間。私は嬉しくなって、何度か涙ぐんだ。ほかにもそんな方が目に入ったし、後ほどのツイッターでもそんなふうに呟いている方をたくさんみたし、小沢健二さんご本人も、最後のほうは、ちょっと鼻をすすっていた。
コンサート会場のオペラシティも、ほうっとため息の出るような美しいところ。(写真は、エントランスまでのアプローチです)演出もきれいでかわいらしく、とってもおしゃれ。さすが…。



時々、小沢健二の朗読が挟まる。彼の文章をゆっくりと聞く。
ほんのささいな価値観が、その人その人にとって、とっても大切なことだということを、忘れていたかも、とハッとする。(何度もこすったような表現…わかばやし的な言い回し…だけど)
ツイッターなどの少ない文字数、そこから生まれる誤解の生じ合いなど、現代の言葉が抱える危険や、祈ること。大人になるということ。などを、彼の言葉でたくさん話していました。
数年間、オザケンの表立った活動をよく知らなかったけど、オザケンオザケンのまま、そんな価値観を大切に、自立していて、仲間に囲まれて、ちゃんと愛のある日々を送っていたのだなーと、いきなりちょっと眩しく見えた。
心の底の水たまりのようなものを、丁寧にすくっているかのような文章でした。それは、現代への皮肉も混じったような、彼らしい変化球のような、くねくねとしたような、オリジナルなもので、なんだかそんな事にホッとしたりしたのでした。



後日には、PARCOで行われたポップアップショップ「我ら、時」に行く。
こちらはグッズ販売のほか、彼が旅して見てきたもの、撮った音などが展示。
音はかすかなものだったので、私は難聴のせいか、よく聞き取りにくく、ずーっと体を傾けて聴いていた(ビクター犬か…)。
コンサートよりも、ぐっと今のオザケンに寄ったものだった。



ところで、私はオザケンの連載小説「うさぎ!」を、第一話しか読んでいません。一話だけがっつりよんで、「ああ、今のオザケンはこういうことを思っているのだ」と勝手に納得し、それ以来、面倒で読むのをやめてしまった。
私はこれだけ小沢さんオザケンさんと言っていますが、その程度なのです。。。ミーハーなのです。
…というか、これは、オザケンの存在がそうさせるのか何なんだけど、「自分の思い描く小沢健二のきらきらとした文学的ワールド」があり、それは確かに私に元気もワクワクもくれて、ささいな日常が愛しくなったり、おしゃれをしたくなったり、小説をひもときたくなったり、どこかに出かけたくなったりしたけれど、そしてそんな自分が好き。そんな月日も愛おしい。という感じなのだけど、
そんな「私のオザケン」と「ご本人」はまったく違うものなのだ。勝手にオザケンに夢見てしまうのだ。
現実の小沢さんは、私の中の勝手なきらきらオザケンとは、ちょっと違いました。
ポップアップショップで、特にそれを思いました。
そんな女子は、ほかにもいるのかも知れない。オザケンさん自身も、そんな自覚があったりするのかも知れない。ご本人にとっては迷惑なことかもしれない。…こんなこと、ここに書かなくてもいいのかも?



そんな切ない感じも味わいながら、次の目的地である表参道に向かい歩いて行ったのでした。

【青山こどもの城そばの、公園にて】
そして、それとはまた別に、小沢健二さんのあの声!明るい、弾んだような、音符があちこちに飛んでるような(決して歌が上手ではない)…は、全然変わっていませんでした。
それが嬉しかったです。


そして。
いろんなことをごちゃごちゃっと書いちゃったけど、私にとってのオザケンは、きっとこのままで良いんだな、とも思っているのでした。


小沢健二さんを産まれて初めてあんなに間近で見ただけに、なるべくそのまんまの気持ちを文章に残したい。と思ったら長くなっちゃいました。

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